山岳読み物<小説編>

Tekapo

2014年12月24日 20:50

山に行けない雨の休日。

そんな日は、次なる山の地図を広げながら山に想いを馳せるのもいいものです。

そして山にまつわる読み物をじっくりと雨の音を聞きながら読むのも好きな時間の過ごし方です。

いつの間にか、ここ数年で読んだ本は30冊近くの数になっていました。

そんな幾つかの読み物のうち、まずは1回目として、

小説、エッセイ集などを幾つか紹介したいと思います。

(お勧め度を星五つ満点で評価してます)



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<小説 エッセイ集>


「神々の山嶺(上・下)」 夢枕獏  集英社文庫  ★★★★★







2016年に映画化の決定が発表された山岳小説。

書店にいっても、最近は目立つ場所に置かれるようになっています。

筆者の夢枕獏氏は、「これ以上のストーリーはもう描けない」とまで言った、

傑作山岳小説です。



さて、小説の方のストーリーはというと、

実在のアルピニスト「森田 勝」をモデルにしているといわれていますが、

その森田勝については、後述予定の「狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死」にて

詳しく述べたいと思います。

ヒマラヤ・エベレストの初登頂を目指して行方不明となった、ジョージ・マロニーのカメラを

カメラマン深町誠がネパール・カトマンズのアンティークショップで

入手したというところから始まるストーリー。

実はそのカメラが盗品であり、エベレスト山中でそのカメラを発見した謎の男の手元から

盗まれたものであった。その謎の男こそ、「森田勝」をモデルにした羽生丈二であった。

マロニーのカメラの行方を追う深町誠の周囲にさらなる事件、人物が絡んでくるあたりから

ストーリーの展開は面白くなってくるのであります。

そして羽生丈二との出会い。

羽生の目的は「エベレスト冬季単独登攀」だという。

(1982年12月27日 加藤保夫氏が冬季単独登攀で初登頂しているが、下山中に遭難死)

そして、二人は最終目的であるエベレストを目指して、山へ向かっていく。



ストーリーにはクライミングシーンもあり、専門用語がわからないこともありますが、

それは一部であり、多くは登場人物の人間関係や感情が描かれていて、

その内容、展開にどんどんと引き込まれていくのであります。

実在するジョージ・マロニーの初登頂の謎が、カメラに残されたフィルムによって

解き明かされるかもしれないというストーリー展開と、冬季登攀という夢に賭ける男たちの

生き様が、読者を夢中にさせてくれます。

さて楽しみなのが、映画版のキャストですね。

インターネットの検索では主役の羽生役に、阿部寛さんの名前なども上がっているようですが・・・

公開が楽しみです。








「還るべき場所」 笹本稜平 文春文庫 ★★★★☆







笹本稜平氏といえば、「劍岳 点の記」や「春を背負って」が映画化されて

最近特に耳にする作家ですが、それ以外にも本格山岳小説を幾つも書いておられます。

そのひとつが、「還るべき場所」

ストーリーは、登攀中に恋人を亡くした主人公・矢代翔平とその時の仲間たちが、

過去の悲しみを乗り越え、山岳ガイドとして再びK2を抱くカラコルムにやってくるという展開です。

いわゆる公募型登山とも云われるツアーは最近の高所登山で増えつつある中、若手の山岳ガイドとして

いかにツアーを登頂へと導いていくのか、顧客やほかのツアー、登山隊との調整、困難を乗り越えて

いくあたりに高所登山の難しさを考えてしまいます。

なぜ、そこまでしてデスゾーンである8000mを越えて登るのか、そんな疑問や葛藤を

心臓ペースメーカー顧客の一人である神津との言葉に見出し、自らの道標とさせてくれる。

冒険心をくすぐられること、そして今にも目の前に広がるカラコルムの山群、K2の巨大なピラミッド。

読み終えれば、きっと爽快な気分になれることでしょう。











「未踏峰」 笹本稜平  祥伝社 ★★★☆☆






こちらも笹本稜平氏の作品ですが、この作品は主人公を含めた3人の仲間同士の想い、心情が

中心に描かれており、リラックスした気分で一気に読めます。

過ちを犯しコンピュータープログラマーの仕事を辞し、その後はどんな仕事もうまくいかない主人公・橘裕也。

アスペルガー症候群という心の障害をもつがために、料理の優れた才能を生かせず仕事を無くした戸村サヤカ。

知的障害をもつが、純粋な気持ちとそれを現すかのような絵画のセンスをもった勝田慎二。

こんな3人が八ヶ岳の小さな山小屋で出会う所から物語は始まるのであった。

その山小屋「ビンティ・ヒュッテ」の主人・蒔本康平(通称パウロ)はかつては世界に知られた

登山家であったが、彼自身にも過去があった。

ビンティ・ヒュッテに雇われた3人が、八ヶ岳の自然に触れ、山小屋の仕事を続けるうちに

自分を取り戻し、自分の才能に開眼し、そしてさらに山に引き込まれていく。

3人にパウロさんから提案されたのがヒマラヤに残る未踏峰「ビンティ。チュリ」に初登頂するという計画。

訓練を重ね、計画を練っているある日、山小屋が火事となり、パウロさんはなくなってしまう・・・。

おっと、、、 これ以上はネタばれですね。



文章の中でパウロさんが発するいい言葉が幾つもあります。

 「山に登ることを苦行にしてはいけない。人生はたった一度きり。

その一刻一刻に生きる喜びを感じる場所として山はある」


 「自分がこの世界で生きた証として、たとえ名もない頂でも、そこに人類初のアイゼンの爪痕を残すこと――。

そこから得られる利益などなにもない。マスコミはたぶん報道すらしないだろう。初登頂の栄誉は、登った者

の胸の裡だけに刻まれる。本来、すべての登山がそうあるべきなのだ。

いや人生そのものがというべきかも知れない。」

なんども読み返してしまう言葉が随所に溢れています。

自分だけの未踏峰。いろんな苦労を乗り越え登った山はどれもが未踏峰であり初登頂なのであります。

そしてそれは人生でも・・・といっているかのように。

読み終わって、少し心が軽くなるようなそんな気持ちにさせてくれる一冊です。










「北壁の死闘」 ボブ・ラングレー著 海津正彦訳 創元ノヴェルズ ★★★☆☆






異色の海外山岳小説ですが、初版は少し古いようです。

時代設定はなんと第二次世界大戦末期のヨーロッパ。

ナチ・ドイツと連合軍との攻防の最中、アイガー北壁を舞台とした壮絶な登攀シーンに

なんともいえない緊張感を感じることが出来ます。

ただ、アイガー北壁に舞台が移るまでのストーリーが少し長く、最初は辛抱です。

読み終えれば納得の一冊です。











「高熱隧道」 吉村 昭  新潮社  ★★★★☆





黒部渓谷の水平歩道は登山者の間でも人気のコースです。

垂直とも思える断崖絶壁に、コの字に穿たれた水平に続く登山道。

これまでに多くの登山者が行き交い、その絶景に息を呑んだことでしょう。

秋の紅葉の頃の美しさは特に素晴らしく、私も遥か昔の学生時代に訪れたことを

昨日のことのように思い出せます。



この小説はそんな水平歩道のさらに奥に掘削された隧道(トンネル)工事に纏わる記録小説です。

昭和11年、戦争による軍備増強のため電力確保を必要とした時代を背景に、黒部の豊富な水源に目を付けた

日本電力は黒部第三発電所を計画し、その資材運搬用に掘削されたのが「高熱隧道」なのです。

その作業環境は想像を絶するものであり、破砕帯付近での作業は160度を超え、

作業員は黒部川からくみ上げた水を背中から浴びながら削岩機を動かし続けたという。

しかしあまりの高温で自然発火するダイナマイトの暴発に多数の死者を出す。

また、厳冬期の黒部では「ホウ雪崩」と呼ばれるとてつもない破壊力を持った雪崩が発生し、

安全を期して建てられた鉄筋コンクリート造の宿舎を吹き飛ばしてしまうのであった。

しかしその宿舎の残骸はおろか、巻込まれた作業員の亡骸が全く発見されない・・・・

その謎はホウ雪崩の破壊力にあったのであった。

300人を超える死者を出しながらも戦争という後押しもあり、

工事中止を幾度も逃れ、昭和15年完成を迎える。

先人たちの多くの犠牲と苦労を偲び、水平歩道をまた歩いてみたい想いにかられます。










「黒部の山賊」 山と渓谷社 伊藤正一  ★★★☆☆






以前は、三俣蓮華岳の北側にある三俣山荘でしか手に入らなかったこの本。

今年になって山と渓谷社から書店にて発売となって、私も手に入れてみた。

黒部源流域に実在したという山賊。

そんな山賊たちと山小屋で一緒に暮らし交流した経験を記した作品。

詳しい内容には触れませんが、この本を読んでますます黒部源流域への想いが

募るのは間違いないでしょうね。







「小屋番三百六十五日」 山と渓谷社 ★★★☆☆





未だ、山小屋には泊ったことがない私ですが、

小屋の主人の山と登山者への想い、経営の苦労、小屋明けの苦労など

25程の小屋の主人、または小屋番の方の話を短編集としてまとまられています。

一話ずつ読みやすく、各地の山小屋への想いが膨らみます。

いつかテント泊装備のザックが背負えなくなった頃、山小屋泊で楽しみたいものですね。











「山に入る日」  細田弘  白山書房 ★★★★☆






今、読みかけの本なんですが、すごくいいんです。

瞑想的登山という感じなんですが、そこに表現されている筆者の言葉が心に響くんです。

以下、本文より。


 「私の年齢では何日で歩くかではなく、歩き通すこと自体が目的になる。(大峰山奥駈け日記)」


 「おそらく熊野奥駈道を歩ききることの意味(意義)は、この風を体感することにある。(大峰山奥駈け日記)」
  (吉野から奥駈道を歩き通し、熊野大社を見下ろす稜線で受けた風を感じたシーン)


 「気分転換なら小さな山がいい。でも心に重荷があるならば、大きな山のほうがいい。
それだけ多くの汗を流す必要があるからだ。」


 「峪から僅かに噴き上げる風は上昇気流であろう、優しく和毛(にこげ)を撫で、薄い雲を通して
  注ぐ太陽の光も柔らかです。私は快い感覚に身を委ねながら目を瞑る。」
 (「黒部源流の山を歩く」より、9日間の単独行を終えて、立山・大観峰で休息中のひと言)



 「カメラを持たない登山者は本物だと言うよ」
 「心のシャッターをたくさん切るといいよ。若い人にはそれが出来る」
 (ザラ峠付近で出会ったカメラを持たない足の速い若い女性との会話より)



早く読んでしまいたいけど、読み終わるのがもったいないそんな本です。


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